坂本龍馬の夢と語り継がれる伝説


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坂本龍馬が抱いた日本への想いと夢を伝える

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坂本龍馬 それは壮大なフィクションを超える伝説

【「坂本龍馬」は壮大なフィクションなのか?】

《こちらの本文は某掲示板から、発言された方のお名前を伏せて、討論形式で抜粋して掲載しています。
龍馬の偉大さを想う史料として、見識豊かな発言者の皆様に心より感謝申し上げます。》

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少なくとも大政奉還や海援隊などがあったことは事実かと思います。

ですが話半分でも読んでいて心が震えるものがあります。

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薩長同盟の裏書に龍馬が署名してるのは事実なんですよね?

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歴史にどれだけ影響力をあたえたかについては、議論があると思います。

しかし、あの激動の時期に重要人物のことごとくと接点を持ち、
海援隊を立ち上げ、薩長両藩の間を行き来していた実績はゆらがないものですし。
人物や物語の魅力についてというなら、
なおさら実際の歴史への影響力とは別物だと思いますし。

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伝えられている坂本龍馬がたとえフィクションであっても得ることはたくさんあるとおもいます

龍馬だけでなく多くの人たちが国の行く末を憂いて戦っている姿を知ると、自然と自分のポテンシャルが上がっちゃいます

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文献が多く残っているので、事実では?

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事実だと思いたいです

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事実は少ないと思います。
やはり勝海舟あっての竜馬ではないでしょうか
海舟がすごいのではないかと

とはいえ竜馬の物語は、日本人として心が震えます。

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一介の浪人とはいえ、勝の後ろ盾があったから色々動けたんでしょうね。
勝としても立場上、簡単に動けないところを龍馬が手足となって動いてくれたんでしょう。

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『歴史は、物語で語り継反日勢力の妄言だと思っております。 がれる。』(陳舜臣)と言っております。

古では、長老が語って継いできました。

どちらかと言えば、表舞台に立った人ではないと思いますが、
諜報部員の一人として活躍した人を上手く題材として取り上げた
方がすばらしい思います。

日本人の心の中に住み着いた人です。


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明治42年当時の坂本龍馬の世間での評価


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船中八策は事実でしょう、揺るぎない。
他に海援隊も、酢屋で切られたことも、寺田屋で襲われたことも事実でしょう。
坂本龍馬の存在そのものがフィクションだという説はありえん仮説でしょう。

ただ龍馬の断片的な事実をつなぎあわせて、一本線に日本の夜明けに向け走った式の明快なストーリーに仕上げると部分的にはフィクションが入りこんでいますでしょうが。ただそれは物語としては面白いし、許されない手法じゃないんじゃないかと思います。

昨晩の「龍馬伝」でも、黒船乗り込み未遂前の吉田松陰と龍馬が対面して、「お前のやるべきことは何か、お前自身の心に聞け」とか怒鳴られてなぐられるシーンとか、完全に嘘ですけど、愉快この上なかったですねえ。
物語でも歴史でも程度の差はあっても同じことで、見る方はここまでは事実、ここは作り話とわかった上で、意義があるとか面白いとかを論じればいいのでは。

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物語なのでフィクションもノンフィクションもあるでしょう。

ただ龍馬の場合、事実は小説よりももっともっと奇なりの気がします。

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大勢の人がやったことを竜馬がすべて考えて行動したように
「竜馬がゆく」では描かれてる気がします。

一人であれほどの仕事ができるかどうか。


でも竜馬がゆくが大好きです。

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「竜馬がゆく」でも他の諸作品でもそうだと思いますが、
現在残っている資料はあくまでも"点"で、
そこまでは個人の出来事を年表に沿っている様なモノです。
その"行間"を推察し、人物象を組み立てていくのが作家さんだと思っています。

"坂本竜馬"は直筆の手紙や、逸話、後世の人物が語り残した話も多いうえに、
革新的な出来事に多く関係しています。
細かな性格や、事件はやはり脚色もあると思いますが、
小さな存在に過ぎなかった、土佐藩の下級武士が当時、かつ後世の人々に多大な影響を与えたその"エネルギー"が「普遍的な凄さ」なのではないかと私は思います。

また、「竜馬がゆく」以前の表層(年表上のイメージ)的な竜馬観を、
以後の大河な竜馬観に代替えし、「坂本竜馬」の"エネルギー"を世間に知らしめた司馬さんも凄いと思います。

なので"祭り上げられた英雄像"というのは「竜馬がゆく」以後からと考えられ、
「坂本竜馬」の名が勝海舟の口から出たり、睦奥宗光に語られたり、
貿易会社を起こしたり、楢崎龍へ維新後に礼状などが渡されたりした事実が。
この"一介の脱藩浪士"の凄さや魅力を物語っているんじゃないでしょうか?

と、個人的には思う次第です。

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龍馬は明らかに明治期に「龍馬伝」で脚色され、昭和に「龍馬がゆく」で脚色が完成された部分があります。

作家はオリジナリティが「命」です。
歴史作家のオリジナリティとは、「歴史上のあまり知られていない人物や従来の歴史観ではなかった歴史的事象の別解釈、歴史上の新事実を取り上げ焦点を当てること」ですから。

司馬さんが書かれる前と後では、明らかに龍馬の認知度は変わっています。認知度が変わっているということは、明らかに龍馬に対する評価も変わっているということです。

ここに歴史作家の醍醐味があるんですね。

歴史作家は、自分が書くオリジナリティ溢れる人物を宣伝しがちなのは事実です。
歴史的事象がその人物と関わりがなくても、足跡とこじつけてしまいがちなのも事実ですね。

あと、明治政府内の 薩長藩閥政治の壁に不遇をかこった人たちが、龍馬を祭り上げた部分もありますね。
勝海舟も、陸奥宗光も、そうだと思います。

土佐藩閥(幕末では郷士中心藩全体へと変遷してますが)も早くから、倒幕に参加しているにも関わらず、維新後は不遇だったから、土佐藩もここまで倒幕に貢献したんだと龍馬を使って大いにアピールした部分もあるのだと思っています。明治帝の皇后の夢に出てきた龍馬の話とかは、明らかにその色合いが強いと思います。

龍馬の足跡全てを否定はしませんが、フィクションの部分もあるという複眼的な見方が正しい歴史に対する向き合い方だと思います。

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あと、30年もすれば、小沢一郎も好人物として、大河ドラマの主人公になっているかもしれませんね

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まあ明治初期に薩長の勢力ばかりが盛んだったのを
土佐派の人間が野党的な立場から自分達の勢力を誇示したい
という意味合いもあって新聞連載に「汗血千里の駒」という竜馬が主人公の小説を始めたのが、
現在の竜馬像の雛形ですから、

それを発端に講談などでたびたび取り上げられるようになり、
昭和になって司馬の小説が発表され、完全に「キャラ」としての竜馬像が出来上がったという経緯があります。

だからまあ創作と考えた方が懸命ですね。
実際の人間というのは小説の主人公とは違って、もっと複雑なものですから、

それに実際の歴史というのは圧倒的な資本の流れが作り出すもので、
若者の情熱がなんちゃらというのは、あくまで小説だけのロマンチシズムに過ぎません。

でもロマンチシズムはロマンチシズムとして人間には不可欠なものなので、
小説は小説としてだけ楽しむのが賢い方法かと思います。

まあ若い頃にはそういう見方をせずに、
思い切り感情移入して読むべきでしょうけどね。

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坂本龍馬のファンのほとんどは、その入り口が司馬遼太郎の「竜馬がゆく」か、一歩譲って武田鉄矢原作の「おーい!竜馬」ではないかと思います。この2作は史実に基づいたフィクションですが、特に「竜馬がゆく」は筆者がその時代に生き、また登場人物に実際に会い、さらにその現場に居合わせたかと錯覚するような素晴らしい描写で綴られています。ですから読後に「これは史実か、フィクションか?」という混乱が生じます。

そこを出発点に、次に他の龍馬関連の歴史本を読んで、司馬さんの創作と史実の住み分けを図るという作業が楽しめます。そしてその結果、司馬遼太郎が小説の主人公として抜擢したに足る、坂本龍馬の偉大な人物像と足跡を知ることができます。

龍馬関連の歴史本自体が既に「竜馬がゆく」の影響下にあるて捉えることもできますが、これだけ多くの書籍が出版され続けるのは、史実の龍馬が充分に現代に通ずるヒーローだったと断定できる材料となります。そして実際に、それらの歴史本を頼りに龍馬の足跡を辿る旅をすれば数々のエピソードが史実に基づくものだったことを実感できます。

ちなみに私は生まれて初めて「竜馬がゆく」を読んだ時、登場人物の現存する顔写真を巻頭か巻末に添えてくれればよいのに…と思いました。「竜馬がゆく」を読んだ後は、登場人物の一人ひとりの顔写真を発見することが暫くの間趣味になってましたね。吉田松陰や伊東甲子太郎、西郷吉之助は実際はどんな顔だったのかなあ…。

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実物以上に魅力的な人物として描かれ過ぎている部分も多いように思います。

しかし、坂本龍馬または竜馬という人物がいたのは客観的に見て確実ですし、明治維新という革命の中で一定の役割を果たしたのもまた間違いないようです。

彼の事績と言われるものに対して、彼一人の考えや力ではない、という猜疑的な意見もあります。確かにそうなのかもしれません。

ただ私には、人と人との間を取り持ったり、意見をまとめたりといった調整力に優れた、極めてバランス感覚のある人物に思えます。

暗殺された、というのも彼の存在を快く思っていない勢力が存在した証拠です。過大評価をする必要もありませんが、過小評価もまた必要ないと思います。

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このトピックを見て、物語の竜馬が、実際の竜馬とかけ離れた人物だとしても、小説の中にいる坂本竜馬もある意味本当の『竜馬』なんだと実感しています。

フィクションの竜馬も読者一人一人の中で、『ホンモノ』になっているんだと。
これは歴史小説の最も面白い部分ではないかと思います。

やっぱり司馬竜馬が好きです。

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司馬さんの小説では、信長も、秀吉も、家康も、龍馬も、江藤も…。みんな本人以上に本物になってしまいますね。司馬史観とよく言われますが、自分も多分に漏れず影響されています。でも司馬さんが得た情報量を自分も同じように得るのは無理なので、司馬さんのフィルターを通した歴史物語は自分にとってとても有意義なものです。

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竜馬が英雄なのは事実でしょうが、倫理観も兼ね備えた人格者として
尊敬できる人かと言われれば個人的には?になります。

いろいろ調べると幕府側の小栗や福沢諭吉、山岡鉄舟に魅力を感じるように
なりましたが、司馬さんの事ですから、竜馬を英雄仕立てにして歴史に興味を
持つよう書かれた可能性があるのかもしれませんね。
日本は考古学的に劣ってると昔、お客さんが言っていた。

事実に基づいたフィクションでもあると思う。

明治初期の新聞に新撰組の連載があったらしい。

人気もあったそう。

が…事実は小説より奇なりみたいな。

永倉新八の新撰組顛末記が少し証明してると思う。

ぜひ参考に。

京都のあるお寺に行った時にある住職さんが、竜馬は風呂も入らず鼻毛も伸び頭もボリボリ掻いて不潔な男だったんだと…言っていた。

今はまだカッコいい竜馬でもいいのだと思う。

きっと竜馬暗殺の首謀者までの細かい経緯も明らかにされる日まで。

楽しみに。

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龍馬で謎なのは、潤沢な資金の流れです。

龍馬の手紙は、相当な数が残っていますが、当時は手紙を送るのに現在の金額に換算して、一通50万円くらいはしたそうです。

龍馬の実家が裕福な郷士だったとしても、有り得ないので、その点が不思議ですね。

要は、龍馬に潤沢な資金を用立てた人物がいた訳で、その人物こそが、龍馬を通して仕事をさせていたふしがあると思われます。

龍馬のそれまでの日本人にない発想や諸外国の事情に通じていたこと、会社の設立、船中八策と欧米の民権思想の類似性、脱藩者(犯罪者)でありながら、多くの要人に会えたこと、商売や貿易に関する知識の豊富さ、外国の法律の知識の豊富さ、日本で初めて新婚旅行をしたこと、ブーツを履いていたことなどを考慮すれば、欧米資本との密接な関係があるのではないでしょうか?貿易に欠かせない船舶の知識を持った人物でどこの藩にも属さない脱藩浪人の方が、外国からは使い勝手が良いですから。

確か、「龍馬は操られていた」という本では、グラバー(イギリス人)の名前が挙がっていましたが。

僕も、イギリスと龍馬は深い関係があると思っています。

また、龍馬は薩摩藩から謀略的にリークされた情報によって見廻組に殺されたと僕は思っていて、その殺害の動機は、?薩摩藩の倒幕方針と龍馬の融和的政権委譲方針との対立。?イギリスとの貿易を独占したい薩摩藩にとってイギリス貿易の要を握る龍馬の存在が邪魔になった。当時の薩摩藩の武器輸入は、ほとんどイギリス経由。

まあ、上記は全て憶測に過ぎませんが、何故龍馬が日本人離れした発想ができたのか、何故要人に会えたか(要人にとっては龍馬の背後にある外国貿易に魅力を感じていた越前藩主の松平春獄公が龍馬に船をあげた理由もハッキリします)一番すっきり説明できると思います。

いろは丸事件でも、紀州藩という御三家の大藩が賠償金を支払った理由も、ただの浪人の龍馬を恐れたのではなく、背後のイギリスを恐れたのだと思います。
何せイギリスは、当時日本最強と言われていた薩摩藩を簡単に破った国ですから。

一番すっきり説明できる答なような気がします。

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どっかの歴史学者が言った言葉だったと思いますが、
『歴史とは何が起きたかではなく、人々が何を起こったと信じるかである』だそうです
そう言う意味では英雄・坂本龍馬は確かに存在するんじゃないでしょうか


ちなみに私は大村益五郎が好きです、幕末?明治なら

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「いろは丸事件」は、ある意味、龍馬が単純な善人ではなかったのを表していると思います。
むしろ、当時としては、汚れ仕事の方が多くて、だから、その当時の評価は、さほど高くなかったのでは。

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司馬さんの作品の中でも「花神」のタイトルは、中々に難解なタイトルですね。大村益次郎にしても、江藤晋平にしても、司馬さんは一癖ある人物を描くのも上手いですよね。なぜかれらは死なねばならなかったんだろう…。自分はいま益次郎にゆかりの深い、伊予宇和島の近くに住んでますが、現在の宇和島からは伊達のお城下だったかつての先進性や賑わいは感じられません。

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聖徳太子や坂本龍馬のような規格外の偉人には、そういう否定論が付きまといますよね。
こういう説は全て、日本に対し自信を持てない日本人や、日本の歴史の偉大さを否定したい反日勢力の妄言だと思っております。

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28年前、初めて「竜馬が行く」読んだ時、ものすごく感動しました。
それから、龍馬関係の本はできうる限り読み、大学の卒論も龍馬論、
高知長崎京都と龍馬ゆかりの地には何十回と行きました。

史料によってなるべく生身の龍馬に近づこうとしましたが、やはり
真実に一番近いのは結局「竜馬がゆく」なのかなあ、と思います。

もちろん現存する手紙や手記、口述からどう考察しても、
信じがたいほど明るく、誠実でずるくて、豊かな人間はなかなかいません。
たとえ司馬先生が書かなくても、わかりやすいほどの第一級の人物ですね。

司馬先生は「竜馬がゆく」を書くに当たって、戦前からの
龍馬研究者であり土佐史研究の第一人者である平尾道雄氏に
相談しています。

時に司馬氏39歳、平尾氏70歳。
平尾氏は若い司馬氏の歴史に対する知識、洞察力などに大いに感嘆します。

「龍馬の理想の女性とは何かを考えています」
そんな事を平尾氏に相談したんですね。こうして田鶴という
女性が創作されます。

時々浅慮な人が史実だけで歴史を語ろうとしますが、それはパーツの
そろわないパズルのようなものですね。かえって真実は見えにくくなる。

そして単に興味本位な、裏づけの非常に脆弱な仮説によって、
わけのわからない「想像」をあたかも真実であるかのように語る。
あちこちに見受けられる現象です。

司馬先生だからこそ人間龍馬が描けたんですね。非常に魅力的な
人間龍馬が。フィクションという補助線を引くことで真実をあぶりだす。
それこそが小説家や芸術家の醍醐味ですね。

変な「龍馬」像が乱立しだしたのはここ最近のことです。三流の
創作屋によって安易な「ヒーロー」になりすぎたんでしょうな。

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歴史上の人物を魅力あるキャラクターとして作り上げるのが小説家の手腕。
吉川英治の「宮本武蔵」や山岡壮八の「徳川家康」そして司馬遼太郎の
「燃えよ剣」「竜馬がゆく」。武蔵といえば土方といえばこういう男、と広く
受け入れられている。そういう話を書けた作家だけが「国民的作家」という
存在になれるのでしょう。

「竜馬がゆく」は青春小説としても魅力的です。

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私は幕末に詳しくないし、『竜馬がゆく』も読んだことないんですけど、量待って具体的に何した人なんですか。
薩長同盟の仲介をしたとか海援隊を作ったとかそれぐらいは知ってますけど、他には?

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フィクションか?
と問われれば、常識的に考えて歴史上の人物に我々は会うことも出来なければ、ましてや当人になれない以上、当然憶測が含まれるわけで…

司馬氏や他の多くの人の描いたものを追っていく限り、フィクションであると言ってもいいのでしょうねえ

こういう問いに接して思い出すのは竜馬の西郷評と言われるものです

「大きく叩けば大きく鳴り、小さく叩けば小さく鳴る」

龍馬に限らず我々が他者を理解するとき、自分の器以上のものを描くのは困難なのでは?と思います。

ならば龍馬が我々をどう鳴らすのか?
様々な作家や研究者が龍馬という人物に触れてどういう人物像を描き出すのか?

それを楽しむのも歴史小説の楽しみ方の一つなのではないかと…

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司馬遼太郎さんが、『竜馬がゆく』をご執筆されるまで、龍馬は世にあまねく知られる存在ではなかったと聞きます。

そのすばらしい作品でさえ、忠実に史実に基づいていますが司馬さんの創作、フィクションといわれています。

いま放送中の作品など、あまりに史実を「無視」しているフィクションであるため、見る気にもなりません。

しかしながら、わたしは、一時期なにかあれば、羽田発の最終便に乗って、銅像のある桂浜に行って、自問していたほど、龍馬の大ファンです。

あるとき、ボランティア・ガイドの方から、司馬さんが『メッセージ?銅像還暦によせて?』というB4サイズのエッセイをいただく幸運に恵まれました。

「全霊をあげて、あなたの心を書く」決意をされ、「志を持て」と訴える、そのエッセイを、いまでも常に読み返しています。

とりとめのない、文章で失礼しました。

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司馬さんの「メッセージ」、なかなかに名文ですね。

朝日文庫にも収録されていると思います。

司馬遼太郎からの手紙 上・下 朝日新聞社


に、かなり後ろの方に全文のっていますよ。

私も坂本龍馬記念館でこのメッセージを読んでたいへん感銘を受け、

帰宅後に記念館に手紙で問い合わせたところ、

小椋館長さん直々にお返事をくださってひじょうにうれしかったことがありました。

小説を書く時は神田の古書店まるまる1軒ぶんの資料を集めたといわれる司馬さんが、「竜馬がゆく」をいかに情熱をこめて執筆したかを垣間見ることができます。

ちなみに私はトピック主さんが何を討論の対象とされているのかもう少しはっきりしていただけるといいと思いました。

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羽田から最終便に乗ってまで龍馬像に会いに来てくださること、高知県民として嬉しく思います。高知市で暮らしているとバス停や電停に普通に「龍馬誕生地前」があったり、私の通勤道にも平井収二郎生家跡や坂本家墓所があり、日々の生活の中に龍馬が息づいていることをあらためてありがたく思います。

ところで高知県内には室戸市に中岡慎太郎の銅像が、須崎市の横浪スカイラインに武市半平太の銅像があります。今回の「龍馬伝」で安芸市の岩崎弥太郎の銅像は一定の認知を得た(銅像のある場所が非常に分かりにくいものの)と思いますが、中岡、武市の銅像は認知が低いままです。その大きな理由は「似てないから」だと思います。「坂本龍馬像」「岩崎弥太郎像」は実に再現性が高く、現存している写真そのままの精巧な出来なのですが、中岡像、武市像ともに似てません(笑)。武市像に至ってはあまりのブ男ぶりが不評で一度15年ほど前に一度作り変えられましたがやはり似てません。また建立されている場所についても脈絡がないため疑問を感じたり…。

他にも県内には「中浜万次郎像」「板垣退助像」「長宗我部元親像」「山内一豊像」「吉村虎太郎像」などの銅像がありまして、高知城の二の丸には戦前まで山内容堂の銅像もあったということです。大戦で供出となり、現在は台座のみが残されています。「山内一豊像」も同じく供出されましたが10年ほど前に復元されています。トヨちゃんさんのようにわざわざ高知県を訪ねてくださる方のことを思うと、もっとたのしく高知で歴史を感じてもらえるよう、我々土佐人はもっとがんばらねば…と思います。

小椋館長、非常に気さくでおおらかでやさしい方だったですが惜しくも数年前に急逝されましたね。私もご生前に親交を持たせていただいていて、葬儀の際にお香典を差し上げたところ、まだ数ヶ月前に上梓されたばかりの『図説 坂本龍馬』 をお香典返しにいただきました。それで我が家には『図説 坂本龍馬』が2冊あります。

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そうですか、小椋館長さんはお亡くなりになられましたか。

北関東の地よりご冥福をお祈りします。

いま小椋館長さんからいただいたお手紙を読み返してみましたが、

お忙しい身でありながら、一介の学生の私にとてもていねいにお返事を書いてくださり、

とてもお人柄が偲ばれます。

桂浜と長崎の龍馬像と、室戸の中岡慎太郎像は見に行ったことがあるのですが、中浜万次郎や岩崎弥太郎もいつか目にしてみたいですね。

桂浜、足摺岬や室戸岬と場所は最高の場所に銅像を設置していますね。

高知の友人を訪ねたくなりました。

追伸、読みづらくて申し訳ないのですが、メッセージをレタッチして読む順番に並べてみました。

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続きです。

はじめまして。今年から司馬さんの小説にのめり込んでる、アラフォーです。

今日、広島の司馬さんのファンである、ラーメン屋の亭主も全く同じことを言ってました。

竜馬がいくを執筆するのに2?3000万円の書籍代が、かかったと。

なんか、こうゆうトピックがあると、私のような無知な人間は、司馬さんは金儲けの為に創作したとも錯覚してしまいそうです。

司馬さんは小説を書いて、稼いだお金でまた、次の小説の資料を買い込む。

どれだけ、司馬さんが坂本龍馬という男を知っていたことか…。日本中探しても少ないと思います。


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トピの本筋とはちょっとずれる細かい突っ込みですが、ご容赦を。

26でたぁ坊さんは「手紙を1通送るのに…50万円」という数字を挙げられていますが、
若干疑問があります。
といってもこちらはネットでざっと調べただけなので、
信頼性には自信はありませんが…
「50万円」という代金は、おそらく幕府公認の飛脚問屋の、
最も値の張る「四日限仕立飛脚」(4日以内にお届け)ではないでしょうか?
これですと4両かかったそうですから、50万円という数字に近いように思います。
(ウィキペディア 「飛脚」の項より)
飛脚でも、日数に限りのない最低ランクのものならもっと安かったはずです。
(それでも数千円くらいか?)

また、たとえば江戸詰の諸藩の藩士が国元の家族に手紙を送る、というような場合は、
別の所用で江戸から帰国する知り合いの藩士にことづける、
というような手段もあったはずで、
この場合の代金は「こころざし程度」といったものになるでしょう。
脱藩した竜馬にも、似たような伝手はあったはずで、
「手紙に多額の代金がかかったはずだから、背景に大きな資金源が」
という推測は、当たらないのではないでしょうか。

とはいえ、脱藩浪士(そうでないときでも下級の陪臣)のみでありながら、
幕府の用人などに面識があるというのは、やはり不思議ですね。

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なぜに幕府の要人と顔見知りになれたのか、ということを考えるとき、わたしはどうしても、勝麟太郎の第一秘書官、代理人、交渉人といった役割を想像してしまいます。

つまり、勝に連れ回された龍馬ではなくて、勝が放つ矢のような役割です。





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